[引用]人はなぜ、太るのか?

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11346753558.html
http://www.1101.com/takahashi_michio/index.html
高橋 たとえば、太っているお母さんが妊娠期にダイエットして、母体に十分な栄養が行き渡らなかったとする。すると、その母親のお腹にいる赤ちゃんは、自分も「栄養状態の悪い環境」に生まれるんだと判断する。遺伝子のレベルで。
糸井 へぇ!
高橋 ややこしい説明は省きますけれども、そう考えたほうが合理的だと思う理由が、あるんです。
糸井 ははー‥‥。
高橋 もちろん、胎児期に遺伝子自体が変化するわけじゃなくて環境しだいで「遺伝子の発現のしかたが、調整される」ということが、だんだん、わかってきたんです。「エピジェネティックス」と呼ばれる学問分野なんですけれどね。
糸井 つまり「自分は飢えた環境に生まれるんだ」と身構えて、生まれてくる?
高橋 言ってみれば。
糸井 うわー‥‥すごい。
高橋 人間で考えるとピンと来ないかも知れませんが、エサの得られにくい環境に住む野生動物の場合、これって、なかなか合理的な仕組みなんですよ。
糸井 ええ、ええ。
高橋 つまり、適正なダイエットならいいけれど、「母体の栄養十分でない状態」があるレンジを超えてくると、まちがいなくおなかの胎児に影響を与えてしまう‥‥。
糸井 「ボクはきっと飢餓的な環境に 産み落とされるんだ!」と。
高橋 でも実際には、「いくら食べてもいいよ」という環境に生まれてくるわけだから、どんどん食べて、どんどん太っちゃう。


高橋 われわれ人間は、ずっと「飢餓状態」に生きてきたんです。
糸井 そうですよね、近年になるまで、ながーいあいだ。
高橋 まだ狩猟採取民だった時代には獲物が捕れないかぎり、食べられなかった。つまり、非常に短い「飽食」の期間と、非常に長い「飢餓」の期間とを、繰り返してきたんです。基本的には、ごく最近になるまで。
糸井 ええ、ええ。
高橋 そのとき、われわれは「エサのある飽食の期間」に太っておいて「エサのない飢餓の期間」を乗り切ることで生き延びてきたわけです。
糸井 つまり、その繰り返しだから‥‥。
高橋 そう、現代人のように「持続的に体重が増加する」ということはまったくなかったと言っていい。
糸井 痩せたり太ったりしてたんだ、大むかしは。
高橋 そう。
糸井 今みたいに、際限なく太れるような環境ではなかったということですね。
高橋 そうなんです。つまり、言いかたはむずかしいんですけど結論的に言うと、近年になるまで「太る」環境的要因というのは、ほとんどなかったんですよ。
糸井 ははー‥‥おもしろい。
高橋 ところが、現代の先進国では、どうでしょう。お金を出しさえすれば、近所のスーパーやコンビニでいつでも好きな食べ物が手に入りますよね。
糸井 そうですね。
高橋 狩猟採取民だったころは、環境的な条件で手に入るエサの種類も限られていましたけど、いまはわれわれ味の素なども頑張っておりますので(笑)、お店に行けば、何でも並んでるわけです。
糸井 ええ、ええ。
高橋 そうすると、確固たる根拠もないのに好きなものを、いつでも、いくらでも食べられちゃう。
糸井 「エサが取れたぞー! 食おう!」じゃなくて。
高橋 長い間、「飢餓と飽食」を生き延びてきたわれわれ人類の歴史を考えますとね、いつでも、何でも、いくらでもものを食べられる、そういう現代のような環境に置かれたら‥‥「太らざるを得ない」わけです。
糸井 なるほどなぁ‥‥。
高橋 狩猟採取民にとって狩りの失敗、つまり「エサが捕れない期間」というのは、意図せざるダイエットだったんですね。
糸井 うん、うん。
高橋 まとめますと‥‥。
糸井 はい。
高橋 なぜ、最近になって「肥満」や「メタボ」が問題化してきたか。
糸井 ええ。
高橋 第二次大戦のころまでは、ほとんどの国で「飢餓」が深刻な問題であり、われわれの食生活が飽食化したのは、ごく最近のことである。このことが、まず前提となります。
糸井 はい。
高橋 そして、過去には太れる環境になかったわれわれも、いつでも、何でも、いくらでも食べ物が手に入るようになってどんどん、太ってしまったんです。
糸井 ‥‥この話、リアルな実感がありますね。

一喜一憂の例

一喜一憂の例
※2013年10月の投稿

ちょうど、一喜一憂の例(悪い例)として、少し前になりますが先日のコンフェデレーションズカップに対するネットサポの反応がありましたね。

ベテラン遠藤選手への評価が、1試合目と2試合目で乱高下していたのをみて、ホント、代表サポーターっていうのは近視眼的にしか状況をみれないのだな、ということがあらためてわかりました。

ちなみに。。プライベートで近視眼的にしか状況をみれない人は、ビジネスでも同じです。そんなのアタリマエのことです。
代表サポーターって、会社とか、ビジネス・シーンではどうなんでしょうね。。使える人材なのでしょうか?

サッカー日本代表に対しては、おおよそ、93年のドーハぐらいから、ひとつの「歴史」の流れとしてみなければいけません。そのときそのときの試合結果に一喜一憂する必要はないのです。本当に結果を気にするのはW杯本番だけです。

2010年のW杯で日本は決勝トーナメント、ベスト16まで進みましたが、そこで歓喜していたはずのサポーターが調子に乗って、「あんな守備的な布陣で勝っても意味ない」といってます。
バカですよねえ。。

川淵会長がW杯優勝を掲げたのは2050年です。それは、きわめて妥当な判断でしょう。2014年の段階で、歴史ある世界の最高レベルのサッカーと、クリエイティブな攻撃的布陣で渡りあえるはずなどないのです。

戦前の日本の軍事と似ているじゃああーりませんか。

「事実として」

女性は70年ぐらい前まで、ワールドワイドでマイノリティだったんだってば。事実として。
古来、女性中心のコミュニティはどっかにあったのかもしれんが、それ、世界のホント特定の地域だけだから。

朝鮮は中国の属国だったんだってば。事実として。朝鮮もそれを望んでたんだってば。事実として。
その後日本に併合されたわけだ。事実として。
朝鮮が日本の「植民地」と呼ばれなかった理由は、日本は朝鮮を、日本の一地方にしたかっただけの話。(九州地方、とかそういう単位)
だから、日本と同じようにインフラを整備して同じような教育を施そうとした。
日本語を普及させようとしたのは、当然でしょ。併合したんだから。日本の一地方だけ別な言語使われちゃっちゃあ、困るでしょ。

日本人は朝鮮人を奴隷扱いはしなかったの。事実として。

日本はアメリカに、6年か7年か完全に「占領」されてたんだよ。事実として。

2000年前後、恵比寿三丁目交差点付近、三光豊沢商店会

調べてみたところ。。

白金6にisola(ナポリピッツア)ができたのは1999年だそうで、ということは私が通っていたのは1999-2000年頃かと。
http://archive.foodrink.co.jp/seminar/seminar0406/seminar0406_2-anketo.php
なんでこんな田舎なのに(失礼)いつも満席なの?って思っていました。交通手段もなく。
白金の甚六(お好み焼き)も同様です。金曜の夜の恵比寿三丁目交差点界隈には、オサレな人たちがけっこういました。

「きえんきえら」という古民家を改造したBARができたのもその頃だと思います。

同時期に糸井重里さんが、白金5の「三合菴」というそば屋を絶賛していたのでいってみたら、そばがきが驚愕のおいしさでした。
その後あっという間に有名店になっていきました。ミシュランで☆とったんじゃなかったかな。

以前は、白金といえばまず、杉の木屋スーパーを想い出しましたが、今はありません。


薬丸裕英さんが神応小学校に少し在学していたことがあるとかで、母校紹介をしていましたね。



いろいろ良き想い出もそうでない想い出もw思い出して、感慨にひたることができました。ありがとうございます。

身の周り

自分の身の回りでなにか「とげとげしい」ことが頻繁に(それぞれは小さいことでも)起こっているときは、自分の生活の何かが間違っている。

ところで、世界のどこか、テレビの向こう側で悲惨な戦いが繰り広げられていたとしてもそれはアナタの生活の何かが間違っているわけではない。
自分が行ってない場所で起こっている出来事は、テレビやネットが「余計なお世話」してくれてるだけでアナタの人生にはなんの関係もない。
そう思っていて別に逮捕されるわけでもないし、他人に非難される筋合いもない。
大事なのはそう思っても黙ってるこった(オレみたいにこのように公表せずに!)

おっとまた話がそれた。大事なのは「身の回り」で起こっていること。それを注意深く、できるかぎり客観的に観察していくこと。

自分の生活が間違っていないときは、(残念ながら)何も起こらない。平穏無事な、穏やかな生活。
「穏やかな生活」ってのは、極上だ。ほとんどの日本人はそれを知らないらしいが。。

自分の生活が間違っていないときは「楽しいことばかり起こる」ではない。楽しいことばかり起こるのは(当然)何かどかーんと悪いことが起こる前触れ。
それも、知らない日本人が多いが。。

つまり、だ。なんか自分の器を超えるぐらいの楽しいことが頻発しているときも、自分の生活の何かが「間違ってる」わけ。間違ってるっていうのは必ずしも善悪のうちの「悪」ってことじゃないよ。
いってみれば「身の丈にあってない」ってことだよね。

だから、「わかってらっしゃる人」ほど、自分の人生で楽しいことがバンバン起こっているときに、逆に警戒する。具体的にいうと、生活を「慎む」んだよね。


あそれとね、もうひとつほとんどの人が知らない、けっこう重要なこと書くけども。。
穏やかな生活ってのは平々凡々なる生活じゃないんだよ。ここが重要。

自分の人生を平々凡々などと形容しているときは不満感ありありじゃない。ありていにいえば「つまんない」んだよね。
満足感が極小。さっき書いた「楽しいこと」がどかんどかん起きてくれと願う。決して穏やかな生活は望まない。

当然!こういうときも、アナタの生活の何かが、間違っている。
はためからみて、アナタの生活が「穏やか」だろうが「平々凡々」だろうが、まったく変わらないようにみえる。
が、本人のこころ持ちは全く違う。

自分の生活が平々凡々なとき、何が間違ってるか?
それはね、行動してないんだよね。「プチ」チャレンジしてないの。生活の局面局面で。
胸に手を当てて考えてみると実はわかる。ま、そういうときは自分の内面と向きあおうなんて「勇気」は凡人はほとんど持てないんだが。
その「勇気」さえ持てれば人生開けていくんだよね。
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肩書き:代表戸締役 独りサク飯研究会員 所属政党:自由飲酒党 好きな唄:民生の「息子」 <<【東北人魂】仙台遷都、福島東北オリンピックの実現へ。>> 都心型仙人を目指してはいます

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