心について(2)

心について(2)
 前回、「ムリをせずに自身の『心』を定常的に『快』にする方法を、探してゆかなければなりません。」と書いたのですが、よく考えてみれば、これはもう人間の最終目的といってもよいのではないでしょうか?

 世の中の多くはこのことを目標とし、結果としてさまざまな戦争を起こしているのですから、皮肉なものですよね。

 そして、心を定常的に「快」に保つことができるのだとしたらそれは「健康生活」そのものです。ですのでその方法を探ることはこの連載の究極の目的である、ともいえるでしょう。

 なのですが、「人間の最終目的」という壮大な命題について、たかだかこの連載では結論は出そうにありません。でも、ある程度の示唆を与えることは、できるかもしれません。



 自身の心が定常的に「快」である、ということは、言い換えれば常に「すがすがしい」ということです。すがすがしい状態を日常生活でおおよそ保つためには、身体であっちが痛い、こっちが悪い、という状態が慢性的に続いていてはいけません。身体の外科的/内科的ケアはある程度、済ませておくことが前提になってきます。ただしカンペキである必要はなく、ある程度の軽い症状であれば精神論(良い意味での)でカバーできます。



 特に、主要な内臓のどこかが慢性的に悪いと、「心」が安定しません。とはいっても内臓の疾患が完治したらそのまま「心」が安定するかといえばそうでもないのですが……。

 「心」というのはそんなに単純なものではないのです。身体(内臓含む)が物理的に健康で、正常に稼働していれば、「心」が安定する可能性が極めて高くなる、ぐらいに考えておけばよいと思います。

 逆に、なんとなく心が安定しないなあ、という自覚があるときには、原因を外側(人間関係等の外的なストレス)だけに求めず、内臓も疑ってみるのも1つの手です。それはそのまま、生活習慣の見直しにつながっていくのですが。

 そして、内側がカイゼンされると不思議なことに外側の関係性もあわせてカイゼンされてゆくのです。この事実についてはいろいろな方が本を出したりしていますので詳しくは述べませんが、そういうことは往々にして起こりえます。



 さて、前回書いた「マッチョな男性/プロポーション抜群の女性」の行く末について。

そういう方々が、もしそういう体型でなくなってしまったとしても認めてもらえるような場所なり、コミュニティなりを自ら探す必要があるのでしょう。そのためにはまず、外側の「鎧」(あるいは「仮面」?)を外す勇気を持つことからです。その勇気を持つためには内面を磨く必要がありますね。

 前回このように書きました。

 まず、やめてみましょうよ、と。その方法としては、ただ単に身体を鍛えたり、女性であれば美しくなるための努力をぱたりと止めるのではなく、意識的に身体の「内側」をケアしてゆく方向へ移行してゆきましょう。

 努力するベクトルを180度転換するということです。努力量を変えてはいけません。

 そうすると、体型は「普通」になってゆくことでしょう。外側(上っ面)だけをキープするトレーニングをやめると一時的に外見が「たるんだ」状態になり、自分でも嫌になったりしますが、そのすきに、外面だけでつながっていたような人間関係は、まず真っ先に断ち切りましょう(断ち切らなくとも、自然と離れてゆくかもしれませんが……)。



 努力量を変えさえしなければいずれ報われます。ただし、時間はかかるかもしれません。そのあたりについては次回に書きます。
スポンサーサイト
メルマガ
カテゴリ
リンク
最新記事
twitter
プロフィール

tatsuzawatokyo

Author:tatsuzawatokyo
肩書き:代表戸締役 独りサク飯研究会員 所属政党:自由飲酒党 好きな唄:民生の「息子」 <<【東北人魂】仙台遷都、福島東北オリンピックの実現へ。>> 都心型仙人を目指してはいます

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
月別アーカイブ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示