[引用][再録]無の心

内田博史さん
執着が苦しみの根源であるので、その元を断つという概念で無の心というもの求め禅というものが出来たみたいなんだがこれがまた、面白いこと とらわれない心になるとモノゴトの見え方が変わってきて結果的に、とらわれていた時に求めていたモノが手に入る。

それじゃ、無の心を求めるとなると無ではなくなる。求めているからだ

とらわれない状態になりたいと思えばとらわれない状態になりたいととらわれている事になるので無理なワケだ。

いったいどうすりゃいいんだよ? と途方にくれる。

禅をしてみて次から次に湧いてくる、雑念をどう消せばいいのか?

これを体系的に分かりやすくしたのが、セドナメゾッドではないだろうか?
と最近は思う。セドナメゾットを実践するようになってから、以前では分からなかった事がすこし理解できてきた。

以前は なにを言ってんだ? と理解不能だった部分がああ・・・ こういう事を言っていたのか? となる。

また、日々の生活でいかに自分が、イロイロなモノにとらわれてイロイロなモノを色メガネで見て、歪めていたかという事に気がつく。

たとえば、他人が信用できない。こういうヤツはこうなんだと言った具合に色メガネで見ちまう。
そうなると、相手の話が全て嘘に聞こえてくる。 
しかし、とらわれてない状態で話を聞くと嘘をついているのか、本当の事を言っているのかなんとなく識別がつく、つまり 不必要に疑わないで済む。

人を疑うのもなかなかエネルギーを使うモノなんで、これが軽減されると非常にストレスが減る。 
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肩書き:代表戸締役 独りサク飯研究会員 所属政党:自由飲酒党 好きな唄:民生の「息子」 <<【東北人魂】仙台遷都、福島東北オリンピックの実現へ。>> 都心型仙人を目指してはいます

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