バイラルなんとか

最近はバイラルメディアなるものが流行って、感動したらfacebookで「いいね!」とか、面白かったらtwitterでリツイートとか、拡散が簡単にできるようになっています。だから、海外でこんな感動な話題があったとか、youTubeでこんな感動的な動画があったとか、こういう募金を求めている人が要るとか、そういうのを簡単にささっと紹介します。でも、そんな中途半端な使命感や義憤のようなもので、さっと拡散するのは自分では「何か行動した」気になっていますが、実際には何も行動していないのです。ケンカや暴力行為が起こっている時に、周囲で「やれやれー」とけしかけたり、「ケンカやってるらしいよ」と教えたりしている、単なる野次馬と同じ人種でしかありません。ケンカをしているわけでもなければ、ケンカを止めているわけでもない、何もしていないのにはやし立てている人なのです。しかもその拡散したものがデマだった場合、「自分もだまされた側だ」という被害者面をして、一番タチが悪い。頭も使っていない、大した行動もしていない、ただ情報を意味もなく右から左に伝え流すだけ。そういう人は、発想力も行動力も全く鍛えられません。
単純に、受け取った情報をそのまま他の方向に伝える、という行為は、ものすごく低レベルなのです。それを、「自分は情報を受信している」「自分は情報を発信している」などと勘違いしてはいけません。デマかどうかという判断もつけられない大したことのない情報受信力だし、その情報を元に自分で何か行動を起こそうという気もない、大したことのない情報発信力なのです。そういうことを繰り返していては、いつまでも意味のない情報だけを受けて意味のない拡散をする人生を送るだけです。
情報の拡散器になってはいけません。一次情報を得るための努力をし、一次情報を作るための工夫をする。それこそ、自分の情報力を向上させる最大の鍛錬なのです。その鍛錬の意味が、現代ではなかなか分かりにくいですが、そういう意識が持てる人にこそ、本物の情報が集まり、本物の信頼が集まるのです。
弘中勝
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エコロジーだの左翼っぽいイデオロギーだの

ミュージシャンやアーティストや作家は、常に自分たちがうわついた一過性の流行り物を創っているだけの虚業でしかなく、本当に社会的に重要な役割を果たし ていないんじゃないかという不安にかられている。だからこそ、多くのアーティストはすぐに、エコロジーだの左翼っぽいイデオロギーだのにからめとられる。 かれらの作品が偉大なのは、往々にしてまさにそれが政治的、実業的なものとは無関係に存在しているからだったりする。うわついたところ、軽々しいところに こそ、その活動の価値があるのだ。でも、多くの人はそれを胸張って認められるほど強くはない。山形浩生

参加感

為末大
「楽しい人々」は参加感がある。この場所が楽しくなるかどうかは、ある程度自分たちでコントロールできると考えているのではないか。
「楽しめない人々」は、「待ちの人々」が多い。「楽しめないのは、楽しませてくれないからだ」と考えていて、どこか楽しい場所を常に探している。退屈だ、どこかに面白い事は、人はいないかと、意識がいろいろ動く。実は自分の態度によって楽しめない事には意識がいかない。
「楽しい人々」は「楽しい人々」を好みがちでそういう固まりができやすい。「楽しめない人々」といると、楽しめなさは伝染するから次第に敬遠されるようになる。そうして「楽しめない人々」の周りには「楽しませる人々」が減っていき、より楽しくなくなっていく。
楽しさの半分は状況だけれど、半分は自分の態度。何でも態度次第で楽しめるわけではないけれど、楽しめない状況では全く楽しめないわけでもない。コントロールできるんだと知るだけで、結構楽しさは変わる。

“ありがとう”と言って聞かなきゃいけない

坂東玉三郎
守田の祖父(十三代目守田勘彌)が草履の紐が解けたまま花道から出ていく役があったんですって。
それを通りすがりの端役の俳優さんが
「旦那、草履の紐、解けてますよ」
と言ったので、
「あ、そう。ありがとう」
と言って、その場で結わいて、直前に解いて舞台に出て行った。
それを見ていた養父が後で
「お父さん、なぜあそこで結わいたのですか」
と聞いたら、
「“これは解けているもんだよ”と言ったら、その人は何かあっても二度と教えてくれないだろう。“ありがとう”と言って聞かなきゃいけない」と。
そのように養父が何度も語っていたことを思い出します。

目標は人に話さない 足引っ張るから

ルー・タイス
個人的な目標を設定するときには、それを自分だけの秘密にします。家族やチームメイトや同僚とは、いくつかの目標を共有したいと思うかもしれません。もしそうなら、目標を達成するのを手助けしてくれる人とだけ共有してください。あなたの足を引っ張るような人とは目標を共有しないことです。誰がそれに該当するかは、あなたにしかわかりません。
目標を人に話すと、口にしたからには、もうやるしかないと、後戻りできない気分になることがあります。そうした制限的モチベーションは必要ありません。すべての目標はやりたいこと、好きなこと、自分が選ぶことを基本にすべきです。そうしないと、それを達成することを強要されているように感じます。もう一つの落とし穴は、目標を達成するうえでの柔軟性を失うおそれがあることでしょう。
(略)
いったん目標を共有すると、タイミングという点で柔軟性を失ってしまうのです。目標を自分だけのものにしておけば柔軟性が生まれ、タイミングを自分でコントロールすることができます。
さらに、目標を共有した人たちが、応援してくれるとはかぎりません。

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Author:tatsuzawatokyo
肩書き:代表戸締役 独りサク飯研究会員 所属政党:自由飲酒党 好きな唄:民生の「息子」 <<【東北人魂】仙台遷都、福島東北オリンピックの実現へ。>> 都心型仙人を目指してはいます

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