「強訴」

オレ「逆説」(の日本史)読んではたと膝打ったんだよこないだ。

昔はなぜか僧兵が、神輿かついで(おかしいと思わん?)たんだって。で、神輿を担ぐ理由が。。
「強訴」のためだった、と。つまりは殴り込みだよ。神輿は戦闘手段だったんだよ。

ゆがんだ仏神混交。。

で「なるほど!」と。

オレの田舎の祭りの神輿ってけっこうケンカ神輿っぽくてさ。。担ぐヤツらは街の「準構成員」とチンピラとヤンキーなのよ。

こいつらがここぞとばかりに、意図的なのかわからんけど、民家に突っ込むのね。
いや、正確にいうと。。正面衝突するわけじゃないんだ。「ギリギリアウト」なんだよ。
ちらっと数枚ガラス割ったり。

でさ、たぶんオレの記憶では弁償してくれねんだよ。

ウワサでは、「狙われる」家があるんだよね。
こっちの言葉でいうと「すかした」家ね。家っつーかそこの息子がスカしてるとか、不義理だとか、勝手に儲けてるとか。。
でも、狙われる家があるってのはあくまでウワサ。。

まさにこれこそ「強訴」じゃんねえ?
もともと神輿ってそういうもんだったんだな、って。
なんで神輿とヤクザ、チンピラ、ヤンキーが親和性高いのかわかったわけ。

だって神輿が神聖なものであればマジメくんが担ぐものなはずでしょ?
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健康法イコールシューキョウ

http://ameblo.jp/stevengerrardjp/entry-11385626635.html
健康法でも、ダイエットでもね、それに心酔して、盲目的についてゆけば、効果は絶大なものになるだろう、そりゃ。

小手先の方法論は、実はあんまり関係ない。(まったく、とはいわないけどね)


ただし、多くのヒトがうすうす気付いているとおり、あまりに心酔して盲目的になりすぎると、それが「シューキョウ」になっちゃうんだよねえ。

複数人でモーレツに他人に勧めるようになってくると、ヤバい。

宗教ってのは本来非常にパーソナルなものでさ。「ぜひ!」と他人に勧める類のものではない。
なんというか、どうしようもなくて自分からすがるもの、自分でみつけるものだ。

宗教がキライな理由を書きましょう、書きましょう

宗教がキライな理由はね、これは何度も書いてることだけども、
絶対排他的なところね。それ、組織としてどうなのよって思わん?そもそも。

他の教えを「許さない」という心の狭さ(そういうふうに明言はしなくとも、とにかくネチっこい)。。
信じがたいのね。


。。で、話変わるけどさ、もはや最近ITのツールってブラウザフリーだったりOSフリーだったりするじゃん?
ソフト会社もマルチOS前提で開発するじゃんよふつー。スマホアプリだってAndroidとiosとどっちでも開発するだろ?
だってそうじゃないと売れねーだろ? そっぽ向かれちゃうもん。

昔と違ってiosの上でWindowsとかさ、Officeとかも融通きくようになったじゃん。


てな感じで、「宗派フリー」でいけよっての。
信仰する対象が石ころでも経典でもいーじゃんか。

とにかくね、「超越的な存在」をね、敬虔に敬えばいいじゃない。みんなで。
なんでそれができんのかね!宗教方面のひとたちは。

存在が矛盾してるんだよ彼らは。特に攻撃的な日●宗とか。。

ちなみにオレは太陽を信仰してるよ、現在は。なぜならば、「超越的な存在」が我々に与えたもうた「具体の象徴」だからね、陽光というのは。


家族折伏のカンチガイ

家族で誰かが新興宗教に入るってのはさ、そいつだけ救われようと「抜け駆け」するってこったろ?

それって違うんじゃねえの?
救われるとしたら家族全員だろ?

新興宗教にハマったやつが、テメーの勝手で家族も「救ってやろう」と上から、全員を勧誘してゆく。

ただカネが欲しいだけなんだが。。
自分が信仰している宗教は崇高であり、「愚民」はそれにカネを出すのが当然、と思ってるくせに、それと相反して、「愚民」(身内)に執拗に信仰を薦める。

何が、相反してるかわかる? まず自分が「抜け駆け」して新興宗教に入っちまった時点で、バリバリ選民意識なわけ。
オレと教祖と、同胞以外みんなバカ?って思ってるのよ。もちろん「バカ」には身内も含むのね。

で、バカな身内を救って「やろう」と、カネをむしりとりつつヒッシに勧誘する。「選ばれた人間になりなさい」と。

問題は、なぜ一緒に入らないの? ってとこ。なぜ自分が入ってから、身内を勧誘するのか?

最初の動機(自分「だけ」が救われよう)が、超不純なんだよってこと。

わっかるかなあ?

[再録]人間が創りだすものは神の意志か?

人間が創りだすものは神の意志か?


人間というものが地球上に発生してから、いわゆる「進化」の速度が加速度的に早くなってきた、という話で、
人間が、神の意向を代行しているという説があるそうですね。すみません勉強不足で存じませんでした。

つまり、人間の「手」(意味どおり)と「知恵」により創造された「人工的」な産物は実は人間の背後にいる神が創造「したかった」もの、つまり神の意志である、と。

ということは、人工的と我々自身が思っているものは人工的ではない。なぜなら神の意志だから。それは「自然」なのです。

と、そうであればいいのですが、実はそうもいかず。。
それはすべてではなくて。人間が、ヘタに知恵をつける前は、そうだったと思うのですよ。でも、人間がいろいろな悪知恵がついてからは、何かに突き動かされるように神の意志を代行する行為(創造)と、ただの人間のエゴがつくりだすものと、完全にふたつに分かれてきました。

というか、まっぷたつに分かれているわけではないので、違いがわかりにくいのでしょうね。

そしてその境界線は、少なくとも僕にはわからないです。「我々現代人が人工的と思っているもので神の意志で創造されたモノ」とは、いったい何だろうか?

そして、人間が悪知恵がついて、人間自身が求めるものを神の意志に逆らってでも創造し始めたのは、いったいいつからなのだろうか?
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